横丁紹介
東京都文京区湯島にある「湯島おばけ横丁」。一度訪れると忘れられない独特な魅力に溢れた場所です。江戸時代から現代に至るまで、時代の舞台裏で密かに栄え続けてきた湯島を知らずして、東京の下町は語れないでしょう。この記事では、「湯島おばけ横丁」の名前の由来、歴史、そしてその魅力を解き明かしていきます。
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名前の由来
「おばけ横丁」というユニークな名前の由来には、興味深い逸話があります。
江戸時代、この地域は芸者置屋街として賑わいを見せていました。夜になると、仕事を終えた芸者たちが薄暗い路地を歩き、自宅に帰る姿が見られました。当時の化粧は現在とは異なり、濃く妖艶な雰囲気を持っていたため、人々は彼女たちを「おばけが歩いている」と表現したのだそうです。これが、「おばけ横丁」という名前の始まりとされています。芸者たちが織りなす文化とその象徴的な姿が、湯島おばけ横丁のルーツと言えるでしょう。
その他にも、戦後の混乱期にこの地域が闇市として発展し、入り組んだ路地がまるで“迷宮”のようだという理由で「おばけ横丁」という愛称で呼ばれるようになった、という説もあります。江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と時世の煽りを受けながらも、舞台裏の街として生き続けている都内でも有数の横丁です。
歴史
湯島は江戸時代から特別な街でした。当時、ここは上流階級や文化人が通い詰める「花街」として知られ、江戸文化を支える重要な役割を果たしていました。特に、湯島天神が近くにあることから、芸者置屋や料亭が集まり、湯島一帯は華やかな空間となりました。
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一方で、この華やかさは表舞台のほんの一部に過ぎません。実際には、湯島は江戸の「影」の部分を象徴する街でもありました。花街の裏では、芸者の生活や商人たちの駆け引きなど、一般人の目に触れることのない人間模様が繰り広げられていたのです。
その後、明治・大正時代を経て、戦後の闇市へと姿を変えながらも、この街は常に人々の暮らしと密接に結びついてきました。現代では、そんな湯島おばけ横丁の歴史を感じさせる路地や建物が残る一方、多国籍な飲食店が立ち並び、グローバルな魅力を放つエリアへと進化を遂げています。
江戸時代から続く「人知れず栄える街」という側面は今も健在で、その歴史的背景だけでなく、現在もなお生き続ける“東京下町の舞台裏”ということです。ここを歩くと、湯島が単なる下町ではなく、東京の文化や人々の生活を支えてきた影の主役であることを実感できるでしょう。
まとめ
「湯島を知らずして、東京下町は語れない」。そう言い切れるほど、この街は深い歴史と多様性を持っています。次の東京観光の際には、ぜひ湯島おばけ横丁を訪れ、その“表と裏”が交錯する不思議な魅力を体感してみてください。
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